最近お葬式に関するニュースを耳にしない日は無いというほど有名人の訃報ばかりが続いていますよね。
さて、葬儀について何も考えていなかったがために、自分の親の葬儀で「希望通りの葬儀ができなかった」「無駄な費用を使ってしまった」と感じた人は、大勢います。
だからこそ、「葬儀はもっと自由でいい」「豪華な葬儀はいらない」「時代は『小規模の葬儀Lといった風潮になっていったものと思われます.
「終活ブーム」の背景には、不況や核家族化の他に、このような「葬儀の失敗経験への反省」もあるはずです
終活ブームの象徴として、出版社、文具メーカー、各種協会団体などが発行する「エンディングノート」のヒットがあります。
自分に関するデータ(知り合いの連絡先など)やヒストリー、家族へ遺しておきたい言葉、自分の死後(葬儀や墓など)についての希望など、たくさんの記入項目が設けられているのが通常です。
遺言書と違い、エンディングノートには法的効力はありませんc書かれている希望がそのとおりになる(あるいは遺族側からすれば「そのとおりにしなければならないしということはありませんが、「終活」を始める――
つまり自分の死を考える際の第一歩として、エンディングノートは有効なツールとされています。
たしかに、故人に関するさまざまなデータを遺せるという意味で、エンディングノートは有効なツールといえるでしょうが、使い方を間違えると、結構大変なことになってしまいます。
「遺族が困らないために書く」
このスタンスを間違えると、エンディングノートは、遺族にとって厄介なものになってしまいがちなのです。
多くのエンディングノートには、自分の葬儀についてさまざまな希望を書く欄が設けられています。そこに遺族のことを熟慮せずに、そのときの気持ちのままに、意図することなく希望を書いてしまう人もいるのです。
自分がかつて親の葬儀で困った際の経験も、いざエンディングノートを書くとなると、忘れてしまう人がいるのです。
関東にある知人の葬儀社に聞いた話ですが、70代の母親が亡くなり、葬儀を依頼してきた遺族(実の娘さん)が、葬儀前の打ち合わせの際に「ちょっと困ったことがあって……」と一言ってきたといいます。何かと尋ねると……。
「母が書いたエンディングノートに『柩をカサブランカの花でいっぱいにしてほしい』と書いてあったんです。でも、カサブランカの花って、高いでしょう? 予算的にとでも無理なんです」
これは困ったことです。柩を花でいっぱいにするには、数百本の花が必要になるのですかお母さんとしては、自分の理想を書いたのでしょう。
しかし、遺された家族は真剣です。
法的効力がないとはいえ、エンディングノートに書かれた言葉は、家族にとって大切な言葉。
いわば「最後の願い」とも捉えられがちです。この願いを何とか叶えたいというのが、家族の自然な思いでしょう。
結局このケースでは、柩を他の安価な花でいっぱいにし、カサブランカの花を数本――ということで落ち着いたようなのですが……。
娘さんはどこかで、お母さんに対する申し訳なさ、うしろめたさを感じていたはずです。
また、こんなこともあります。
「俺の葬式に無駄なお金は一切使うな―」
と書かれた、父のエンディングノート……。その父が亡くなり、息子たちはエンディングノートの言葉どおり、なるべくお金をかけない葬儀を行いました。
遠方から何人かの親成が参列に訪れたお通夜……。料理はなく、ちょっとしたお菓子とお茶しか用意しませんでした。父の言葉どおりの行いです。
「申し訳ないんですが、お金をかけないようにというのが父の希望でした。お腹が空いた方は、ご自由に近所でお食事をなさってください」
というわけです。
(なんじゃそりゃ? こんな葬式、初めてじゃ―)
親戚たちの間では、このお通夜は後々ずっと語り草になってしまったそうです。
(あの家は、親父も息子もロクなもんじゃないな……)
なんともせつない話ですが、実際にあった例であり、当事者(遺族)にしてみれば、親の希望に従ったのに評判を落としてしまうという悲劇です。